日記みたいなメモ 2026年4月
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2026/4/30
今日は少しまとまった時間が取れそうなので勉強の方針を固め直して、無理なくスタートさせてゆくつもり。長年の苦手意識を少しでも緩めるために固執していたことを手放すことから。
『地獄に堕ちるわよ』を見終えた。
脚本も演出もよかったし、俳優陣もよかった。戸田恵梨香は今までそんなに注目したことがなかったのだけれど複雑な人物を見事に演じていたと思う。幼稚なところがなくて上質なドラマだった。
リスニングとディクテを少し。つい内容が面白いもの(つまりレベルが自分とつり合っていないもの)を教材にしがちだったがやっと諦めて楽に学習できるものにシフト。きちんと終わらせて、数をこなせるように。
45分しっかりとストレッチ、ほんのりトレーニング。
明日はもう5月だ。メーデー。労働者のお祭り。働かずに遊ぶ日にしよう。
2026/4/29
自分がどんなに追い詰められているかを知ってほしいあまり相手を試すようなことを言ってはいけない。
その時は真剣だったからもちろんそんな計算はなかったけれど、すべての箱を開けて並べてみたあとでは、一番大事なものに比べたらそれは子どもの戯言のようなものだ。
でも本質しか見ていない人にとってはその子どもの戯言も重たく深く突き刺さる。戯言を言うこと自体が、そのあいだにある信頼を奪い取る行為だから。
私は更地になるまで粉々にしないと気が済まないところがある。粉々にしても立ち上がってきてほしい。でも私が破壊したのが体面とか意地とか思い込みとか自意識とかではなくその人の核となる部分だったら?私は核となる部分をさらさずにいることで粉々になったふりができた。でも目の前のその人はそうではない。私よりももっと剥き出しのままそこにいるのだった。
私が洞察を欠けばいつでもそのひとを孤独に追いやれる。
本質に近づきたいくせに、それを乱暴に壊してしまうんじゃないかと恐れるから、距離をとって眺めるだけにしてしまう。人に対しても、自分に対しても。
揺さぶって粉々にして、ほんとにお前は潔白かよ、と確かめないと気がすまないのは自分の目を信じていないし、盲目なことを自覚するあまりどこかに恐れがあるからなんだろう。
そう考えたら、暴力をしかけたのは紛れもなく私のほうだ。
Netflixで『地獄に堕ちるわよ』を見ている。細木数子を演じている女優さんの存在感も悪くないし、衣装やセットも美しい、音楽も効果的、映像の辛抱強い感じも良い。作家役の女優さんの掠れた声も好きだ。
とはいえ、実在の人をこういう風に描くのはどんなかたちをとっても誰かの真実ではなくなるんだろう。
2026/4/28
6年間住んでいた町をゆっくり歩いた。朝早かったのでまだ市場が開いていた。いまの馴染みの八百屋さんよりも半分、下手したら1/3の値段で野菜が売っている。場所柄アジア野菜が多いのかと思ったけれどそうではなかった。なす、パプリカ、フヌイユ、人参、硬いキャベツ、きゅうり、ズッキーニ、葱…黒いぶどうがまるまるとして美味しそうだったので買いたかったけれどそのあと人に会って昼ご飯を食べるつもりだった。レストランに野菜をもりもりに入れた袋を抱えて入るところを想像したら何となく悪いような気がして、やめておく。
お下がりの服をもらった。お下がりをもらいがちだ。人生の中でお姉さんとして振る舞ったことがそういえばほとんどない。
帰りの電車の中で待っていた(そして恐れてもいた)メッセージを読む。その人はある人の2年に渡るプロジェクトをほとんど台無しにしようとしている。ほんの2週間苦労したことで根を上げてしまってもうこれ以上頑張るつもりがないようだった。一番肝になる部分なのでもう少しは意識的になってくれると思ったのだが、様々なアドバイスにも耳を貸さず同じ間違いを繰り返すうちにうんざりしてしまったようで、しまいにはこのプロジェクトが2年もかかったことをそもそも辛抱できなかったとまで言う。私ははたから、その人を喜ばせようと2年間私生活を犠牲にしながら働いてきた姿を見てきた。その人だって、休みなく深夜まで働いていた姿をみていたはずなのにいざとなると自分の感情が優先され、時間がかかった原因には自分が追加要求をしたからだったということも何もかも忘れて、被害者みたいに感じるようになってしまったのだった。いくら口ではリスペクトしている、素晴らしい作品を作ってくれたと言っても、ほんの少しの犠牲すら払ってくれないことで本心がわかる。他の友人の前で「彼の好きにやらせてあげている」という口調で困ったような顔をして紹介していたのも見ていたから、私はずっと悲しかった。
2026/4/27
同じ苦労をしたら分かってもらえるだろうかと考えていたが甘かった。人の苦労が見えない人は、人の苦労を正確に評価できない。例えばそこにある1000の苦労を10くらいにしか見積もることができないから、自分が10くらいの苦労をしたら1000の苦労をしている人と自分は同等だと考えてしまう。2年かかったことと1ヶ月かかったことを同じ苦労だと見積もられてしまって、却って苦労を味わわせなかった時よりも質が悪い。(私はあくまでも第三者でこれを見ているので、冷静な判断ができているつもりではいる)
2026/4/25
プライベートセールに招待してもらったので行ってみる。
デザイナーさんが自ら店番をしていた。他の人は店に入るなり挨拶だけして棚を見始めたのだけれどその人が作ったものを見て回るのにもうちょっとコミュニケーションを取りたいような気がして落ち着かない。こういう場所に慣れていないのだ(そもそも服をめったに買わない)。試着させてもらうときに少しだけ話した。
合う服が見つからなかったので帰路につくも、服を買う気持ちで出てきたからもう少し服を見ようということで量販店に行く。私の前に並んでいた親娘は大きな試着室に入りたかったようなのに先に小さな試着室の方が空いたので、娘が大きい方がいいと叫び続けるも小さな試着室に入っていった。女の子は諦めがつかずカーテンの外に出て大きな試着室に潜り込もうとして叱られて半べそをかいていた。そのうち大きい方が空いて私の番になったので取り替えてあげましょうかと声をかけるがお母さんはすでに着替え中で出てくることができず、後ろにも人が並んでいたので大きな試着室に入った。女の子に恨めしそうな顔で見られながら試着。春から秋にかけて着られそうな上下を買った。
帰りに、あなたは優しいよねと言われる。デザイナーにも声をかけていたし、子どもにも試着室を譲ろうとしていたでしょう、と。
私は優しいからそうしたんじゃないんだけどなと思う。みんなに楽しくしていてほしいだけだ。
まとめた日記を読みながら、自分が文章を書けているとは思わないけれど、言いたいことと言葉の間のことを探ろうとしていることは表れているんじゃないかと思う。あくまでもそれは、自分が書いたものだからそこが見えるというだけだということも自覚しているけれど。
日々起きたことをただそのまま描写するような日記にも憧れるのだけれど、そういうものを書くには私には文章力とユーモアが足りない。皮をめくって後ろをつっつく、ような暗い作業のほうが性に合っているのかもしれない。
パレスチナに関するfranceTVのドキュメンタリーを少しずつ見ている。
Palestine, une histoire|Une terre et des peuples (1840 à 1947)
ガザやハイファ、ベイルートの位置をスエズ運河との関係で考えたことがあまりなかった。ここはまさに中東への入口なんだな。 パレスチナ人は皮の厚いオレンジを生産して、ヨーロッパへの輸出を可能にする。この成功は良くも悪くも西洋の目をパレスチナに向けることになた。ハイファを中心に西洋列強各国のコミュニティが出来る。マーク・トゥエインやピエール・ロティなど旅行記を書くような作家も立ち寄るようなn"異国情緒を感じられる観光地" となる。ピエール・ロティが旅行先でその土地っぽさをデフォルメした写真を撮っているが(日本を題材にして撮ったものも多くある)、あんな感じ。椰子の木を背景に、ラクダに砂漠。善良で、西洋を脅かさないアラブ人像を押し付けた。 2026/4/24
人のお子さんを学校まで迎えに行ったら顔を見るなりぴかぴかに笑顔を見せてくれて嬉しかった。
新しく越した家に大きな杉の木があって、樹齢が30年を越えると保護対象になるため管理はしなければならないが切ることは許されていないのだそう。大きな実が落ちてきて子どもの頭に当たるのが心配で、庭で遊ぶときにはヘルメットをかぶるようにしているとのこと、ピンクの大きなヘルメットが細い首に乗っていて、煩わしいだろうなと思う。
帰ってきたらプリンターが動かなくなっていた。インク吸収体がいっぱいなので修理に出してくださいという警告が以前から出ていたものの騙しだまし使っていて、それがついに誤魔化せなくなったよう。諸手続きと仕事が止まってしまって困る。今日その吸収体を取り出して洗ってみるとのことだが、物理的処置でうまくいくのかどうか。というのもインターネットで調べたらこの症状を解除するインストールソフトが売っているのだった。つまり物理的というよりはカウンターの制限がかかっているということなんだと思う。これでどうにもならなかったら購入も視野にいれないといけない。
2026/4/22
発酵した牛乳をスーパーで見つけた。もしかしたらラッシーかな?と喜んで買ったのだけれど、飲んでみたらただのヨーグルトだった。ヨーグルト飲料ですらなかった。ヨーグルトだった。いちごと牛乳と蜂蜜でミキサーにかけて自分でラッシーにした。
2026/4/21
https://gyazo.com/ed1772299708d0d9f8aa383fe83bdcfc
女の手仕事には遊びと楽しみがつきものだった (女の手仕事)
ご飯の支度をしながら出来立てのおかずをひょいと口に運んだり、洗濯をしながらカエルの声に耳を傾けたり、磯で貝を取るにも 無数の生きものが立てるざわめきに包まれる。
今は洗濯をするのも食べ物を手に入れるのも簡単になっている。本来なら自分でするところのそれをほかの誰かに任せているからだ。そしてそのほかの誰かというのはもしかしたら人間ですらないかもしれない。
昔は水道も洗濯機も電子レンジもガス台もなくてどうして家事をしていたんだろう、生活するだけの仕事に忙殺されていたんじゃないかと考えていたけれど、そうか、それぞれの仕事にはそれをすることでの楽しみもまたあったのだった。
庭木を切ったり皿を洗ったりひどい汚れものは手で洗ったり床を拭いたり、そういう体を使った仕事は大変ではあるけれど作業に夢中になるなかで何かしらを考えたり少しずつ手が滑らかに動くようになるのを感じたり、本筋をそれた寄り道の体験をしたりする。作業が終わるまでの苦痛の時間というわけでは決してない。もしそう感じるとしたらそれはその仕事を自分ごととして引き受けようとする気持ちがないからなのかもしれない。自分の人生のなかのひとつの瞬間であって、ただ過ぎるだけ、結果を得るための無駄な空白などではない。
レントゲンとエコーの結果を持ってジェネラリストのところへ。腱や神経が無事ならこれ以上細かい検査をせずにキネに行けますかと聞いたら、MRIは必須事項かもしれない…とつぶやきながら調べてくれて、結局直接紹介状を書いてもらうことになった。初診料も払っていないからまとめて払いますと言ったのに診察料はいらないと言う。いや駄目です、時間をとって診ていただいたんだから払いますと言うも受け取ってもらえなかった。どういうことなんだ。そんなことで良い訳がない。どうやってお返ししたらいいの。
午後は久しぶりの友人に会う。待ち合わせ場所には彼女の友人の植物を使うアーティストもいた。どんな作家なんだろう。expoをしているみたいだから覗きにいってみようかな?
カフェは大きな焙煎機が店内にあって、搾取しない形で豆を輸入している。その日おすすめのエチオピアの豆をノワゼットにしてもらった。細かく挽いてもらえるなら家で飲むエスプレッソのために買ってもいいな。今度訊いてみる。
来年のプロジェクトを提案してもらった。彼女とはいつか一緒に何かできたらいいなと思っていたから、これが出だしになるといいな。コントラバスや弦楽器に興味があるのかもしれないから、誰かみつけておこう。
こんなふうに、暗くて寒い冬を抜けるとみんなが動き出す。
2026/4/20
今日は手伝いでタイルに目地を入れるための養生テープ貼り。8時間くらい頑張ったけれど全部は終わらず。力仕事をしたわけでもないのに肩がしくしく痛むので帰って湯たんぽを抱えながらおやつを食べた。
桜の季節に目を楽しませてくれる広場の近くにあるカフェ、そばを通ることはあっても今まで入ったことがなかった。牛肉とチョリソーのクスクスを頼んだら野菜も肉もやわらかく、優しく繊細な味でよかった。コーヒーも美味しい。店員さんはみんな働き者で明るいし。近所の四つ角のところにある空き店舗もカフェになるといいのにな。そうしたら時々本を持ってコーヒーを飲みにいくのに。楽しいカフェがこの町には足りない。
昨日は友人に呼ばれてはじめましての方6人くらいにお会いした。お子さんの話やパスポートなどの話、税金の話、銀行の話…。集まる人が変われば話題も変わるけれど、私はどんな場所にいてもなんだか随分遠い場所で起きている話をふんふんと聞いている感じになる。もちろん自分に関係ない話であっても興味があるから「それでそれで?」と質問をしたり話を促したりするのだけれど(礼儀だから、ということではまったくなくて)、それでも胸の中ではいつも他人事みたいに聞いている。
事実とか説明じゃなくて、その人が感じたことを聞きたいんだと思う。
2026/4/19
カフェで話していたら友人がおもむろに鞄から櫛を取り出して髪を梳いた。ちゃんと櫛を持ち歩いているんだねと言ったら友人は驚いて、だって髪の毛はしょっちゅう梳かすでしょうと言う。私は出かける前とお風呂の前後にしか梳かさないよと話したら今度櫛をプレゼントするから髪を梳かして頂戴とのこと。下手したら私はシャンプーしておしまいだよと話したら嘆かれた。すいません。おしゃれや手入れのようなことをつい避けるのは、ただ面倒くさいからというだけじゃなくて、どこか気恥ずかしさがある。変な自意識だ。
2026/4/18
映画館付近がかなり雑然としていたので駅まで友人を迎えに行く。アフリカ系の人は昼間でも夜でも道にいる(何をしているかはわからない。話したり、タバコを吸ったり、何かを食べたり、何もしていない人もいる)。習慣なのかもしれないし何か他の理由があるのかもしれない。
商店街はそんな風にして人が溢れかえっていて、カフェもレストランも繁盛している。熱気があっていい。私が住んでいるところはとても静かで淋しいので少しでもこういう華やいだ場所があればいいのになと思う。
映画館に入るなりひどく眠たくなってしまった。前半瞬きをするたびに寝てしまって話が入ってこなかったが後半になってやっと見る準備が整った。銀杏の木(銀杏は古代から生き残っている植物のひとつで、現在は1種類しかいない)がその生涯のうちに見てきたある3人が植物と人間との間にある絆のようなものに惹かれる姿が描かれている。
面白かったけれど淡々としているわりに画面の切り替えも多くて、ひとつひとつの画としての見応えがもうちょっと欲しかったところ。全体としての濃淡が薄くて間延びしたものに感じた。もうちょっと良い編集をしたら締まるんじゃないのか、などと考えながら見た。(いや、前半寝てたくせにね)
トニー・レオンは落ち着いた年輪を重ねた研究者の中に少年みたいな愛嬌があって、いい役者だなと思った。派手なキャラクター付けも、芝居をしている匂いもしない。 この感覚のある作品、人について話しながら、サウダージュとはいったいどういうことで、日本語やフランス語で重なる言葉があるとしたらなんなのか。
2026/4/17
早朝から病院に。肩の怪我のレントゲンとエコーを撮る。お医者さんはてきぱきとしているが親切に説明してくれる。どうやら懸念していた腱の断裂はなかったみたいで、どうやら診断を聞くと酷い四十肩と同じ状況になっている。手術や注射などは考えなくてよくなったが、長丁場になりそう。四十肩と同じであれば今は膠着期なのでどういう扱いをすれば良いか目処が立ちそう。リハビリに通うか、自分で治すか迷うところ。一度理学療法士に相談するのは自分の勉強にもなって良さそうだ。
2026/4/16
会うなり友人がおうちに空き部屋ある?と言うので話を聞くと、15年住んだ家を追い出されてしまうかもしれないとのこと。彼女はどういう訳か働かずに豪邸に住んでいるのだけれど、貯金があったとしても定収入がないと新しい入居先を探すのが難しいのだそうだ。変な仕組みすぎると思うと同時に、なぜかなりのまとまった資産がありながら借家に家賃を払い続けたのか…と思ったけれど、もちろんそんなことは訊かない。
歯医者に。前回治療したところの根っこの見直し。10日ほど様子を見て再診察してもらったら終われるはず。
2026/4/15
読書会が始動。読む本も決まったので、ゆるゆる進めてゆくつもり。
今回は言語を指定せず、どの言葉で読んでも良いことにした。それぞれの言語でどんな翻訳がされているかの比較をするのも楽しそう。Cosenseを基地のひとつとして使おうと思っているけれど、自由度が高いだけに使い慣れていないと何をしたら良いかが分かりづらい場所でもあるので、DiscordやSlackのほうが良いのか…迷いどころ。
2026/4/14
友人と外国語を原書で読む読書会をしようか、という話になる。以前Twitterのコミュニティ機能を使って半年ほど続けたのかな?ほどよい緊張感と他の方の視点も味わいながら読み進めるのはとても楽しかった。多忙のため立ち消えとなってしまったけれど、今回も以前と同じくらいゆるく、のんびり続けられたらいい。Cosenseにもページを作ってみたけれどやはり使い方に慣れが必要なので、主にはSNS上で公開のかたちでやろうと思う。
2026/4/13
一度そのひと像を作ってしまうとそうじゃない姿を認めることがなかなか難しいのかもしれない。一旦定義してしまって「わかる」ことで安心したいし、再びそれを疑って思い込みを外し、自分の意識を覆すのはひと苦労だから。私自身はどちらかというとものごとの新鮮さを発見するのが好きなのでその作業を苦にしていないつもりでいたけれど、それでも複雑さに付き合う前にとりあえず決めつけてしまうようなことを無意識でしていないとは言えない。
昨日は疲れでだらけてしまったので今日こそ自由時間は勉強をしようと思っていたのに遊んでしまった。
🍽️夕飯はセロリをたくさん刻んで鶏の丸焼きのあまりをほぐしたものと残り野菜とでカレー風に炒める。生クリームもヨーグルトも余っていたのでそれも入れてしまう。カレーにいろんな具材を入れていると、会社勤めをしていた時代の社食のカレーになるとが入っていたことを思い出す。
2026/4/12
顔のない体、中身のない貝殻のようなよれた皮膚、馬の毛が織り込まれた大きな布、炭で書き殴られた体の中身が透けている人体…
今回の展示に選ばれた作品は少し重ためだったのだけど作成過程のビデオを見たらシュールというかからんとしたところもあった。この時代に芸術分野に吹いていた風は彼女のところにも吹いていたということなのかもしれない。
死の影を重たく背負っていたとしても生とのせめぎ合いの中で作品は生み出されていたわけで、もしかしたら死やもう動かなくなった体のようなものを悲劇のドラマとしてだけ捉えないだけの視野を持つことはありうることだと思うから、籠もりきったような暗さで終わらないのがよかった。
https://gyazo.com/0cdd34e87ae9b35e136cf248e335a5a2
2026/4/11
昨日は無事終えられた。自分の評価は70点くらい、全体としては60点くらい、でも喜んでもらえたようなので及第点かな。プロのアサシンが仕事の直後に公園を散歩しているみたいな狂気があったと感想をもらう。舞台の感想はいつでも、その人の心をとてもよく映すなと思う。
今日はひとつ仕事があるけれど、それ以外はのんびりしてもいい。この2日間良くやったから。
運動が苦手だった、という方が生徒には多い。
足が早い、体が固い、高く飛べる、というような他者との競争を前提としたものばかりではないはずなのに、多くの人は運動が得意とか苦手とかいう言葉を使う。そういった意識の多くは子供〜学生時代に刷り込まれたものなのではないかと思う。
でも実際は、運動の目的はひとそれぞれ、体もひとりひとり違うのでアプローチも通り一遍ではないはず。例えばストレッチはアスリートの筋肉の寿命を伸ばすことにも使われるけれど、自分に合った可動域内でゆったりと行われるそれは、瞑想に似たものにもなりえる。美しい姿勢を保ちたい、美味しくご飯が食べたい、元気で明るい気持ちでいたい等、目的やアプローチ方法、効果もそれぞれで、それをまさしく自分だけのものである体に対して行うものではないかなと思う。
一般に言われるほど、体はすぐには変わらないことが多い。その代わりゆっくり付き合ってあげれば必ず理解は進むし、解像度は高くなる。
体は自分だけのものだけれど、なかなか思い通りにならないという点では最も身近にある他者とも言えるし、最も近くにある自然とも言えるかもしれない。それを自分なりに理解してゆく過程を面白がる手段のひとつが運動である、と考えれば別の取り組み方をしたくなるかもしれない。生まれたときから否応なく体とは一緒にいるので、でもだからこそ絶好の学習・観察・実験対象であるとも言える。好きに触れられるのだから、自分の足の指の形を再発見するとか、耳がどれだけ冷えているかとか、昨日と今日とでは呼吸の時に力の入る箇所が違うとか、毎日体軸が変わることに気づくとか、そういういわば自己の発見は「運動」という言葉に収まりきれない広がりがある。
そして、それはいずれ体には収まりきれない糧に‥少なくとも私にとってはなった。
2026/4/10
日記なのにとびとびになってしまっている。日記みたいなメモだから良いことにする。
昨日はリハーサルのため一日小屋での稽古。心配していたよりも見られるものになりそうでほっとしている。初めての共演者も音を聞いているうちに自分がどう出れば良いのかが分かるので緊張することもない。このことに関してだけは腹が決まっている。とにかくその場に身を浸すだけ。6時間ほど動いたので夜にしっかりお湯に浸かった。他にしておきたいことがあったからその時間をお風呂に使うかどうか迷ったけれど入っておいてよかった。そうでなければ今日の体のきしみ具合が違っていたかも。
🍽️帰ってきてピザを食べた。中東系の方が経営しているパン屋さんに付属していて店内にはクスクスとか甘いお菓子なども置かれている。ピザを頼んだらお店の人は電話をかけはじめて「あなたが注文したものは今日材料がないからできないよ。今日はこれとこれとこれしか材料がない。10分くらいしたらピザを焼くひとが来るから待っててね」と言われて牧歌的だった。数分のうちに焼けます!何十分でおうちに届かなければお代はいただきません!みたいな世界はそこにはなかった。出来上がったピザは家庭的な優しい味。その日はもうちょっとジャンクでパンチの利いたものを食べたかったのでほんの少し物足りなかったけれど、いかにもそのパン屋さんの全然笑った顔を見たことがないけれど真面目で、細やかなところが表れているピザで、よかった。
Xへの投稿に6000もいいねがついてしまった。そしてフォロワーが増える。投稿が自分の友だちの数よりうんと多い人数に伝わるなんて、良いことはそんなにたくさんない。それで多くの人に知られて有名になったり売れたりすることは良いことじゃないかと思うかも知れないけれど、それだってよく考えたら禍々しいことじゃないか。
2026/4/8
phaさんが紹介されていたこのnote、私も日記を書いたり読んだりすることが好きなので、こんなことが広がるといいな。 日記を読むのが好きで、昔日記を書いてもらうサイトを運営していた。7年続けていたが書いてくれた人は総勢400人くらいになった。日記のようなものを、でも自由に書いてくださいと頼んだので日々の記録だったり創作メモだったり自己紹介だったりかなり内容には幅があったけれど。
みんなのその日の日記がずらっと並ぶようなサイトがあればいいのになと、ずっと思っている。もうすでに存在するかも知れない。文章が上手だったり、有益な情報があったり、有名な人が書いているものだったりしなくて構わない。その人が見て感じたもののことを読みたい。
ガザのことを本気で対応していたら今回ここまでことが進行しただろうか。そのことを世界中が深く反省すべきだ。
自分たちの経済が破壊されないと本気で戦争を止める気にならなかったことを恥じて、まだ続いている非人道行為を今すぐ止めてほしい。
2026/4/6
今日友人と話していて、私なら許せないと感じることを、まったく意に介さず流すのが当たり前の人生があるんだなということを考えた。何かに対して当然負うべき責任を放棄しているものに対して怒りを感じているようだ。自分の言葉や行動に責任を持とうとしたら嘘やいい加減なことは言えないし、自分が取った行動が自分の目に見える範囲以外のものにどう影響を与えるかを考えないではいられない。そこから逃げていたり意識的でない態度を見つけると、怒りを感じてしまうようだ。
怒りは自分の中の不満が捻れて表出しているものである気もするので、もしかしたら「私はこれだけそのことを考えているのに、そこに無意識でいられるなんて」という自分の価値観の押しつけをしようとしているのかもしれない。または、そこにやっかみのような感情も含まれているのかも。
そうだとしたらわたしは私の怒りをもっと真っ直ぐなものにしたいなと思う。何かのために怒れる人間ではありたいから。けれど捻れたエゴや未熟がその理由なら、そこから身を離しておきたい。
🎪ピーピング・トムのChroniques。Grande Halleでなかったらもっとまるで別のものとして見ることができたかもしれない。遠い画面としてではなくて、その環境と演者の動きに観客が包まれるような感覚があれば。つまりせめて客席が縦長でなく、横方向に見渡せるようなものだったら…。 演者が繰り返し殺され(る仕草をし)ては滑稽なまでにあっさり復活してまた殺される繰り返しは、まさに今も(今までも、これからも)世界で起こり続けている無意味な他者への侵害の連鎖のようなものを思わせた。
同時に、私たちは誰かの人生や肉体の破壊をSNSで繰り返し目にするようになって、衝撃を受けながらもそれをどこか遠くに感じる、または遠くで起こっていることであると自分に納得させることにいつのまにか慣れてしまっている。どこかで誰かが破壊され、ページをめくればまた他の誰かが、その連続の中で、そんなつもりはないのにそのショックも過去に折りたたまれて緩和されてゆくような感覚、そういうことを考えながら見ていた。
https://youtu.be/dhUZx_zdWuU?si=b-lacHVKgi8P0DKY
2026/4/5
昨日は久しぶりの友人と話す。考えたら今の生活があるのはその人のおかげでもある。彼女にとっては大事な時期に、家にほとんどかくまってもらっていた。あの月日があったから栄養をためて動き出せたのだった。しばらく会わない間にお互いずいぶん変わった。ほんとうに、変わった。
昼のうちにVISA関係の質問を受ける。私もそのようにして助けられてきたのでちょっと時間を延長して色々教えてあげる。
2026/4/3
今年はじめに脱臼した箇所、自力で治せるかと思っていたけれどもしかしたら腱か神経に問題があるかもしれないのでお医者さんに行くことにした。諸事情であまり病院には行きたくないのだけれど仕方がない。普段病院にいかないため主治医がいない(この国ではどんな疾患でも主治医を通すことになっている)。友人に主治医になってくれそうなお医者さんを教えてもらうことにした。病院の予約が終わってほっとしたからか、いつもよりも痛みに耐えるのが辛い。
2026/4/2
https://www.youtube.com/live/J6xmKvL8msw?is=afxMdSqlgo5NhTZn
毎週楽しみにしているpodcast。
ちょっと前に、DiscordのVCでボイスも発さないのにチャットに入るのは迷惑な使い方かもしれない…なんて書いたけれど、そんなに気にしなくてもいいのかもしれない。VCが塞がっているなら遠慮したほうがいいかもしれないが、空いているなら自由に使ってみようかな。
というのも、やはり毎日何かを続けることは私にとっては難しく、でもちょっとしたきっかけで「私もやろう」と行動できることもあるから…まあそんな感じでDiscordといえどいろんなことが出来る場所があるのはいいかもしれないと考えたのだった。このPodcastを聞いてそう思えたのかも知れない。
2026/4/1
降っているか降っていないか分からないくらいの細かい雨でたえず地面が濡れているような一日。
仕事と仕事の間に遠い町からやってきている友人に会うつもりだったのに、日本との時差が縮まっていたことを忘れていて間に合わず。小さな空き時間ができたのでカレーを食べながらドラマを見る。見たことのあるドラマなので結末が分かっている。そろそろあのひとが出てくるぞとかあのシーンを見たいという感じでだらりと見ている。それなりに続きが気になるのでやはり最後まで見てしまいそうだ。
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